読売ウィークリーの1月27日号に、野田聖子のインタビュー記事が出ている。 どこかで耳にして興味がわき、書店にバックナンバーを取り寄せてもらった。 記事のタイトルは 激白!!野田聖子「産む機械だった私」 。 (タイトルにセンスがないなあ)
野田さんは40歳で7歳年下の参議院議員、鶴保さんと結婚。体外受精によって妊娠したが、流産となったらしい。 ワタシは読んでいないが、2004年に 不妊治療に関する著作 私は、産みたい を出している。 その後 不妊治療を断念、鶴保さんと離婚し、昨年12月に、前著以降の事を綴った 不器用 を出版。 これを受けてのインタビュー記事だ。
どこまで引用して良いのか良く分からないのだけれど、気になるところを抜書き。何かに抵触するようでしたら速やかに対処しますので、スミマセンがお知らせください。
・(6年間の不妊治療について) よくがんばったなーと思う。と同時に、ぞっとします。不妊治療のつらさというのは、まず精神的に、「人にできることが自分にはできない」という大きな挫折感があります。子どもを産むという、当たり前だと思っていたことができない劣等感です。
・決まった時間に大量の薬を飲み、状況をみて何本もの注射を打った。委員会で議論に熱中し、後で飲み忘れた事に気付くと、「もうすべてダメかもしれない」という絶望的な気持ちになる。
・精神状態は今までで一番不安定。選挙に落ちてるときよりもひどかった。
・家に帰ると毎晩、ネットサーフィンしていました。「不妊」で検索して、2時間も3時間も。自分と同じ境遇の人とのバーチャルな連帯感がないと、やっていけなかった。
・「自分がやっている方向は正しいんだろうか?」って自問自答する。採卵して、受精して、失敗。それを休む間もなく、毎月、繰り返す。ムキになっていました。
この辺までは うんうん、そうなんだよね、と 共感。 取り寄せてまで読んでみたかったのは、ここから先。 どんな風にして 彼女はゴールを迎えたんだろう、ということ。
・(仕事と治療の)2本立ての人生だったから、片方がなくなったら、いきていけるのかなと。続ける事も辛いけれど、やめる事の怖さで頑張っちゃうんです。
・あの選挙、何だったんでしょう。だから、45歳を過ぎたけれど、もうすこしやろうとなった。
・元気な人の卵はどんどん育ちます。でも、私の卵は年齢的な老化で寿命が短く、1週間で体力が尽きてしまう。そんなことを4回も5回も繰り返すと、さすがに限界が近づいてきたってわかる。
(夫婦関係が悪くなっていく中、治療の事で口論となり、夫は家を出て行く。その後、病院に保存していた精子を使って最後の不妊治療)
・内証でした。あのときは「おまえ、異常だ。おれと別れようって話をしている最中に治療もないだろう。今すぐ電話して、キープしている卵を捨てろ!」って、どなられた。
・やっぱり、子がかすがいとなるなら、最後にかけてみようと思ったんです。
(1週間後、不成功だとわかる)
・あ、これで一つの何か、自分の中の人生の一場面が終わったな、と。受精卵のストックがなくなったのであきらめざるを得なかった。
反面、ここまでよくやったな、これから楽になるのかなと、ほっとしたところもあった。
・ただ、体の悲鳴が聞こえたのも事実。今の最高の技術を持ってしても、46~47歳の老化した卵子では、自分のDNAを受け継ぐ子を持つのは無理。弱音を吐きたくなかったから、治療を続けたけれど、年をとったという現実をやっと素直に受け入れることができました。
雑な引用、ご容赦ください。
要するに 年齢的な限界を実感して ジワジワと諦めがついていった という事だろうか。 ふうん・・ そうかあ・・
自分が治療を止める時の事は 考えないようにしている。 怖いから。 頭、変になりそうだから。 今のところは、まあ今年いっぱいくらいかねえ なんて思っているけど、そんなに 潔く止められないかもしれないなあ、とも思った。今年いっぱいと言ったって、まだ37歳だもんなあ。 まだ 頑張ってみても良い年齢だ。
何にせよ 切り裂かれるように ではなく 静かに眠るように 終われますように。
最近のコメント